米国調査第35回です。 Northwest Health Care Center の市原さんです。
患者の権利が問題になったのは60年代からですが、背景には市民権運動がありました。米国全体の権利意識が高揚したことが背景にあります。その頃は、患者の権利は純粋に「権利の主張」でした。そのころにメディケアも、メディケイドも充実して来ました。医療は自分の権利で国が保障すべきだと、患者の権利宣言もそうだし、行政の中でもそうなってきました。
患者の権利が高まり患者がものをいえるようになると、自分の受けた医療はおかしいのではないかと考えるようになりました。そこで、弁護士がでてきて、これは私の場所だと、訴訟に持ち込むようになって来ました。患者の権利を促進する役割を果たして来ましたが、慾深い( greedy )弁護士の活躍の場所にもなりました。人権派の弁護士もいますが、病院めぐりをする弁護士もいます。病院で不満そうな顔をしている患者をみると、「お客さん」と声をかける訳です。
80 年代から 90 年代になって、権利意識が逆に薄くなってきました。貧富の差が激しくなり、中産階級は声も上げられるし訴訟も起こせますが、置き去りにされた低所得者はまだ声をもっていません。しかし、何かあれば、知識はあるので、病院からお金を取れればOKと訴訟を起こす。その中で、病院の身構えの方が強くなって来ました。
法律で、お金がないという事で差別をしてはいけないという事になっています。患者に退所をいい出す時も、一定の時間的な余裕をもたさないといけない事になっています。
支払いできない場合は、弁護士を立て猶予をお願いしても、病院が認めなければ、自分で行く先を探すか負債がたまる中で過ごすか、という事になります。米国の個人破産の原因は、カード、医療費です。離婚の原因もそうですが。
日本に戻る予定はありませんが、日本の社会が、特に医療が米国型になってきています。このままでは大変な事になります。日本では、誰でもどこでも、というスローガンが曲がりなりにもありますが、セーフティーネットなしに決められるのが問題です。米国では入院日数がもともと短いという歴史がありますが、日本では病院に長くいるという歴史があり、そう簡単ではありません。病院から単純に追い出しでも行き先がありません。患者の権利を保証するコーディネートが大事だと思います。
李啓充先生ではありませんが、米国の現状を日本に伝えたいし、PTの教育にも興味があります。 Green card (永住権)を取得して、日本との行き来が自由になったので、これを機会に日本との繋がりをもちたいと思っています。
(この項、終わり)